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コラムと書籍

コラム

運動会の招待状や入園受付の資料としてお配りしたものを、WEB上に再掲載しています。

六十九歳の今、しみじみと
みんな取らないで高いところは

ことり達のために残しておいて……

青い空を彩る赤い柿をもぎ乍ら

古(いにしえ)の人々の自然への美しい心づかいを伝えてくれた祖母でした。

気をつけてね……

病気で母親らしいことがしてやれなくて

といっていたけれど

出かけるときは必ずふとんの中から見送ってくれ

認められ受け入れられているやすらぎを

与えてくれた母でした。


運命は自分で拓け……

マイナスをプラスの要因に変えてゆく

人間としての生き方を

態度で示してくれたのは父でした。


しあわせな人生を歩めるように……と

折にふれ 心にそっとくれた たからもの

あたたかかった、家族をなつかしく思います。

六十九歳の今、しみじみと。

米山敏子

十五夜と祖母と
東の空にぽっかりとうかんだ十五夜の月にすすきとおだんごを供えて祖母は月に住むといううさぎの話をしてくれました。

「お月さまのうさぎは食べるものがなくて おなかをすかせている人にあげる餅をついているのよ。自分さえ良ければいい……なんて思ったら月のうさぎに恥ずかしいよね」

さといもの葉に溜った水滴が真珠の様に光り風にゆれてほろりとこぼれるのを眺め乍ら祖母の話を聞いていたこどもの頃。

やさしい微笑みが昨日のことの様に思い出されます。

石の臼を廻し乍ら小さな穴に白米を少しずつ入れて挽いた粉を熱湯でよくこねてから、てのひらでころころと丸めたおだんご。

「手伝うわ」「うん頼むね」

一緒に丸め乍らいろいろな話をしました。

人生の絶えることのない波間にあって夢や希望、そして愛する心をやさしく育んでくれた祖母は前に向かって生きる力も与えてくれました。

伝統行事の中には季節があります。心があります。

四季折々の伝統行事を大切にして生活のかおりを教えてくれたおばあちゃん。

月に行ける今の時代ですが私はおばあちゃんから教えてもらった心をみんなに伝えていけたらと思います。

米山敏子

ショルダーバッグ
 あるときひとりの女の子のショルダーバッグがなくなった。

帰りの時間にバスコース別にバスが出るまで充分体を動かしてあそぶことが出来るようにもちものをかけておくところがある。その子が帰ろうとしてバッグを取りに行くとかけておいた筈のところにショルダーバッグがない。

そのコースの誰かが間違ったことも考えられるので先生と一緒にさがしたがない。

もしかしてその前のコースの子が勘ちがいして持って帰ったかも知れない。

家へ帰ってお母さんが気付かれて連絡して下さるかも知れないと思ったがとうとう誰からも連絡はなかった。こども達が皆帰ったあと担任から「実は○○ちゃんのバッグが2日程前にもなくなったことがあった」という。

その時はさがして物置の中にあったので、砂場のスコップなどを片付けたときに持っていって忘れたのかも知れないと思い、気に留めなかったがそのときも○○ちゃん、今日も○○ちゃんなので何か関連があるのではないかという。

職員全員であらゆるところをさがしたがないので一旦は帰宅した。 暗くなってからまさかそんなことがある筈がないと思っていたみぞに、懐中電灯の光を当てて唖然とした。

まさか……と思っていたみぞの中にバッグは落ちていた。

おたより帳も連絡帳もまぎれもなく○○ちゃんのものだった。

もしなかったらどうしよう。新しいバッグを買って返すことはたやすい。でも子どもの成長の記録であるおたより帳は、連絡ノートはあたらしいものと取り代えるということではすまされない貴重な記録である。

それがみつかったので内心ほっとしたが反面二度まで○○ちゃんのバッグをかくしてしまった子をその行動にかり立てたものは一体何だったのだろう。単なるいたずらだろうか。それとも心に満たされぬものがあったのだろうか。

翌朝職員全員で話し合い今より更に子どもに近付いてゆこうと確認しあった。

十日ほど経ったある日ひとりの男の子(年長児)を熱があるらしく元気がないと担任が私のところへ連れてきた。熱をはかると38度5分。家に連絡したがあいにくお母さんは留守であった。タオルでひたいを冷したら「お母さんがお家へ帰られるまで園長先生といようね」と言うと安心したように眠りについた。

30分ほどして目をさましたK君は熱にうるんだ目で私を見つめて「園長先生はやさしいね。僕のこときらいじゃない?」と聞く。私は「だいだいだいのだあいすき……」と言うとK君は「僕んちのお父さんとお母さんは何時もけんかばかりしているの……お母さんはけんかをすると僕をぶったりけったりするんだ」私は言葉をなくしてK君をしっかりと抱きしめていた。ややあってK君は「園長先生○○ちゃんのショルダーバッグ、僕ほりっこに投げて捨てちゃったんだ」私はK君をしっかりと抱きしめ乍ら言うべき言葉をえらんでいた。「○○ちゃんきらい」と言うと「きらいじゃないけどいつもお母さんの話うれしそうに話すんだよ」大勢の家族の中で大事に育てられている○○ちゃんのお弁当はお母さんの愛情を感じさせるに充分だったのだ。私はK君の心の起伏が分る気がした。

私はK君のお母さんにこのことを話した。お母さんは下を向いて話を聞いて下さり「主人といろいろなことがあってついあの子にあたってしまった。そんな思いをしていたとは」……と泣きながら反省して下さった。

「園長先生をすきだよ。すきだから話すよ」と言ったK君のあの時の顔を忘れることはないだろう。夫婦関係のひずみが子どもの心をゆがめていることを教えてくれた出来事だった。

米山敏子

猫のポポのこと
それは1月19日の朝のこと。

子ども達が誰も来ていないひっそりとした園庭の水呑場の上に小さなダンボールの箱がおかれていました。箱の中には右のうしろ足に怪我をしている子猫にそえて手紙が入っていました。小学生でしょうか。きれいな字で書かれたその手紙は

「この猫をひろったものですが やっぱり家では飼えませんでした。ごめんなさい。足にケガをしていますので みんなでかわいがってあげてください。ほんとうにごめんなさい。まだ小さいのですがミルクを良く飲みます。きのうの夜もミルクをいっぱいあげました。今日もあげて下さい」

交通事故にでもあったのでしょうか。足の怪我はグチャグチャになって土にまみれて骨がとび出していました。登園してきた子ども達は箱をかこんで「がんばって」「がんばって」と応援していました。柏ヶ谷にある土屋先生に連れていくと

「安楽死させましょうか。同意書に印を押して下さい」とおっしゃったそうです。子ども達のことを話して「助かるものだったら助けて下さい」というと「できるだけのことはしましょう」と引き受けて下さって21日の午後右うしろ足切断の手術を受けました。こども達は「何時退院できるの」と心待ちにしていました。

退院した猫はこども達と幼稚園で過す日が始まり名前は「ポポ」とつきました。

ポポの絵を書いてくれる子。じゃれるおもちゃを作ってくれる子。職員室はいつも賑やかでした。「あの子ばっかりポポを抱っこしていてずるい。私だってだっこしてやりたい」「ぼくだって」「私だって」……「じゃあ、ひとり20ずつ数えて交代すればいい」

Rちゃんの提案にみんなが賛成したとき。

「ポポは今傷がいたくてだっこされるのがいやなんだよ。ポポはそっとしておいて欲しいんだよ」 Mちゃんのことばにこども達の間は一瞬しーんとした雰囲気が流れてみんな深くうなずいていました。

だっこしてかわいがってくれる気持ちもうれしかったけれど今ポポのために何をしたら良いかを考えることができるこどもの姿に感動しました。

ポポのそばへ寄りたいけれど小児ぜんそくのためはなれたところでドリフターズの「いい湯だな……」をもじって「いい猫だ……」とリズムをとっているKくん。かかわり方はさまざまですが14日に二度目の手術を受けたポポは19日退院しました。人間が生きていくために大切なやさしさと思いやりの心を教えてくれたこども達。生命あるものとの出会いの中でやさしくたがやされたこどもの心。ほんとうのやさしさとは…を教えてくれてありがとう。

米山敏子

父の日
私がおさなかったとき

 ありがとう おかげさまで と

  感謝のこころを教えてくれた

            祖母でした。

自分の身を病ませながら

  六人のきょうだいで

   助け合うこころを育ててくれた

            母でした。

運命は自分で拓け……と

  マイナスの原因をプラスの要因に

   代えてゆくことを態度で示した

            父でした。

「お宅は今八方ふさがりですね」病気の母と六人のきょうだいのめんどうをみてくれていた祖母が亡くなったのは私が11歳のときでした。

訪ねて下さった方の「八方ふさがり」という言葉にこだわっている私に父は

「八方ふさがりというのは心の問題なんだよ。八方がふさがっていたら倍にして十六方にしてみたらどうか……まだ明りがみえなかったら又倍にして三十二方でもう一回見直すのだよ。それでも駄目だったら……又倍にして……どこかにありのはい出る程のすき間位は必ずある筈だよ」

父はもういません。いませんけれど私の心の中に生きていてものの見方捉え方に大きな影響を与えつづけています。

米山敏子

あいさつのこと
「園長先生 おはよう」

こども達の元気なあいさつから活気に満ちた今日の一日は始まります。

あいさつはする方もされる方も気持ちがいいものです。

こどもの頃「おしまいでございます」

という夕方のあいさつがありました。

それは大山に夕陽が沈みあたりが暮れなずむ頃、一日の農作業を終えて家路へ急ぐ人々の間で交わされていました。

このあいさつには

「今日一日お世話になりました」「おつかれ様でした」

という感謝といたわりの意味が込められていると祖母は話してくれました。

今ではこのあいさつも耳にしなくなりました。

教育の方法は変わり価値観も大きく変わりましたが、私にとって

「あいさつは笑顔で心からすることが大切」

と教えてくれた祖母のあたたかい笑顔は

「おしまいでございます」

のあいさつと共に私の心に息づいています。

そしてそれはひとりひとりの人格を尊重する意識の芽生えにもつながった様な気がします。

ものの豊かさの中で人と人との心のつながりがどこかおろそかにされている時代に祖母の人生に対する姿勢をあらためて思い出します。

人間的なやさしさや思いやりの心は小さい時からぬくもりのある手で歳月をかけて育まれるものではないでしょうか。

毎朝ひとりひとりと

「おはようございます」

とあいさつを交わすとき

「今日はどんなことに出会えるだろうか」

と胸がときめくのです。

米山敏子

書籍のご案内

当園におけるエピソードを題材とした絵本、『ごりら先生』『ポポがはしった!』『ユウキ』の三冊をご紹介します。
よろしければご一読ください。

『ごりら先生』

ごりら先生

作:岸川悦子
絵:狩野ふきこ
発行:文溪堂
初版:1998年10月
ISBN:4-89423-214-6

※画像は著作権者の了承を得て掲載しています。
(C)岸川悦子・狩野ふきこ・株式会社文溪堂

「もういいかい!」と、ぼくは いって めを あけました。

すると、どうぶつは、いっぴきもいなくて……。(絵本『もりのなか』福音館書店より)

物語のモデルの園児は、「もういいかい!」と目をあけたとき、大切な母親がいませんでした。園児は、突然の母親の死のショックから、幼稚園にいけなくなりました。

そうした園児の心を癒したのは、小さな命を守ろうとする、ごりら先生(海老名みなみ幼稚園副理事長)や、けんめいに生きようとする、小さなツバメのひなの姿でした。

「ゆうたがこないと、チュンタが死ぬぞ」

海老名みなみ幼稚園の米山先生ご夫妻は、毎朝、園児をむかえにいきました。

ひなの巣立ちのとき、涙をいっぱいためて、別れにたえる園児たち。

空と同化していく、ひなの姿を追いながら、ごりら先生はつぶやきました。

「ひどいよな。ひなの命を救うために、何千匹もの蜂の子を犠牲にして」

副理事長先生の、生きることへの痛みと、命あるものへの深い愛に感動して、この作品は生まれました。

書き終えて、しみじみ思います。『もりのなか』のおとうさんのように、深い慈しみの肩車に子どもたちをのせて、一緒に歩いていきたいと。

本書 "あとがきにかえて" より転載。
著作権者許諾済み。

『ポポがはしった!』

ポポがはしった!

作:岸川悦子
絵:狩野ふきこ
発行:大日本図書
初版:1999年10月
ISBN:4-477-01052-4

※画像は著作権者の了承を得て掲載しています。
(C)岸川悦子・狩野ふきこ・大日本図書株式会社

ポポとはじめて会ったのは四年前の平成8年1月19日。

右うしろ足は原型をとどめないまでの大怪我。

二回にわたる切断の手術に耐えて退院したポポをやさしくあたたかく励ましてくれた子達は今、四年生。三年生。二年生。

思いやりとは……いたわりとは……がんばりの心とは……

つねづね自分の心に問いかけておりますが、それは特別なことではなく、毎日の生活の中でごく自然に紡ぎ出され育まれていくものだということを こども達は教えてくれました。

折り紙で作ってくれたおもちゃ、絵、ふとん、など残してあったものが、作家岸川悦子先生、画家狩野ふきこ先生によって、10月20日大日本図書から

『ポポがはしった!』

という一冊の本になって、ポポはこども達と一緒に全国に向かって旅立ちました。

表紙・裏表紙ともこども達が作ったおもちゃの絵が使ってあります。別紙はこども達とポポとのかかわりをおしらせしたもののコピーです。

ポポは今我が家にいます。好奇心いっぱいで何にでも挑戦する姿は、ほんとうに三本足なのかと目を疑うほどすばやくあざやかです。

図書室の片隅にでもおいていただけましたら幸いです。

米山敏子

『ユウキ』

ユウキ

作:岸川悦子
発行:ポプラ社
初版:2005年12月
ISBN:4-591-08998-3

※画像は著作権者の了承を得て掲載しています。
(C)岸川悦子・ポプラ社

『ユウキ』 発刊に寄せて

その日は晴天でした。が、『みなみ幼稚園』を卒園していった、彼の病室に向かう私の心と体は、重く雲に覆われたようでした。 母(園長)から彼の病状を聞き、不安をとりのぞくことができないまま、それでも精一杯の笑顔を心がけて、病室のドアをノックしました。

お母様の「よく来てくださいました。」の声が、ここちよく私を迎えて下さいました。

「久し振り!米山です。恵です。」と声を掛けると

雄基君は「すぐ分かりましたよ。全然声が変わってないもの。いつまでも若いですねぇ」と第一声。

私も「そうでしょ!! 目尻のシワは隠せないけどね」と…。

既に、目の見えなくなっている雄基君に『何と残酷なことを言ってしまったのだ。』と、半ばで気づいたものの、放たれた言葉を取り戻すことはできませんでした。

しかし次の瞬間「へぇ それは残念。目が見えるようになったら、そのシワを一番に見たいものです。」と、こともなげに…

私など足もとにも及ばない、器の大きな、そして心の温かな23才の青年に成長していました。

それからは、幼稚園の頃の思い出話に花が咲きました。スポーツ万能で、特にリレーでは、小さな体をエネルギーの塊であるかのように疾走する雄基君と、直ぐ私の膝の上にちょこんと座ってくる、甘えん坊の幼い雄基君が目の前でニコニコ笑いかけているような、温かい時間を過ごしました。

その日から、暫くして雄基君は旅立ちました。

しかし、私の心の中は病院を訪れる前のような、重苦しいものでは有りませんでした。

なぜか「ありがとう。」の言葉が自然にこぼれました。

『見事だ!!』と、拍手を贈りたい気持ちでした。

そして、雄基君に出逢えた“めぐりあいの不思議”に感謝せずにはいられない気持ちでした。

この度、雄基君のことが本になり “ポプラ社” より出版される運びとなりました。

筆者の岸川 悦子先生は、小学校の教科書にも取り上げられている

“地球が動いた日”(新日本出版社) や、みなみ幼稚園をモデルにして書き上げて下さった “ごりら先生”(文渓堂)“ポポがはしった”(大日本図書) も手がけて下さった方です。

有名な方でありながら、気軽に何度もみなみ幼稚園や我が家を訪ねて下さる、気さくな温かさで、はかりしれないくらいの大きな心に触れさせて頂いています。

岸川先生の手から今。全国に向かって羽ばたこうとしている雄基君。その見事な “生きざま” を是非御一読下さい。

米山恵